オールナイトみそすぅぷ

好きなものについて語ります

マイノリティについて考える

ずっと思っていたことなのですが…

社会人になってからある夏の3ヶ月を韓国で暮らしたことがあります。

私はその時、日本で暮らしていたときに感じていた社会のしがらみを全く感じずに、それはそれは気楽に過ごせたんです。

しがらみ。例えば、

「アラサー」という言葉の呪縛、30歳になるまでに結婚しないと!できれば30までに1人は産みたい!それが無理なら35歳までには…!20代ならいくら貯金がないと!30代ならこれくらい!彼氏の年齢は何歳から何歳の間で年収はこれくらいで、共働き前提でもある程度の会社にお勤めの人じゃないと!

このようなことを一切感じずに、3ヶ月間暮らせました。

 

韓国では当然私は「外国人」で、日本がそうであるように、韓国でのマジョリティはもちろん韓国人。韓国で暮らす日本人は多いと言っても、それでもやはりマイノリティの中にいました。暮らした地域ではすれ違う人が何人かってあんまりわからないもので、私だけが日本人である感覚。そしてたった3ヶ月という短い期間の滞在者の私に「韓国人」の常識は当てはまらない(もちろんマナーなどの「郷に入りては郷に従え」は守ります)。その上場所も変わるとなるとなんとなく宙ぶらりんな状態になり(それにより帰属意識がなくなり寂しいと感じることを除く)、日本で暮らしていた時に感じていたこともそこでの私には当てはまらない。30歳までに結婚…貯金がいくら等々。私の生き方は私が決める。もう、年齢や社会のしがらみには縛られない!!やりたいこと、好きなことをして生きるんだ!!!

 

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そして季節は過ぎ、秋。帰国しました。

私はマジョリティとして、マジョリティの中で暮らし、マイノリティだったときの感覚を見事に忘れました。私は意思が弱い方ではないと思うのですが、日本人というマジョリティの中で日本人なのにマイノリティであること、「みんなと違う」ということに不安を覚えるようで、そうなったらマジョリティに合わせないと、と考えてしまうんですよね。

もっと「私は私」と思って割り切れて生きられたら、どんなに生きやすいだろうと思うのですが。。。

決定的だったのが、私の考えを何人かに話して受け入れられなかった、引かれてしまった時。そんな風に思うんだ…という反応をされた私はその反応に怯えて、「私って変なんだ。人と違うんだ。」と落ち込んでしまった。

 

でも今回の私は、違った。また、みんなに合わせなきゃという私になってしまう、という私に気付いた。だから、私は私でいいんだと。

 

まとまりがなくなったけど、そういうお話です。